さらば、某アウトソーシング

 週末、競馬チラシのサンプリングという仕事を行って来た。
WINS近くの駅で某競馬雑誌のチラシを配る、と言う仕事なのだが、俺が指定した駅は虎ノ門
理由は休日の虎ノ門なんて誰も居ないから。
案の定、業務を開始してみても、1時間に10人通るか通らないかと言うペースの時すら。
リーダーの人は端から配布をしない宣言を出し、俺達もそれに続き、結果7時間ただ雑談をして終わる。
配布枚数ゼロ。わーい。
こう書くと、「仕事なのだからもっと真面目にした方が良い」とか、逆に企業側の人は「金払ってるのだから真面目にやれ」と言う指摘が来るだろう。
だが、人っ子一人いない休日の官公庁、オフィス街で配ると言う事を考える方が悪い。つうか物理的に無理。
まあ、バイトの立場としては非常に甘いものだったがね。


 その仕事が終わって翌日、派遣事業から撤退する事務所に挨拶をしに行った。
なんだかんだ言って、働いたら即金になるというのは魅力的だったし、給与水準など会社のやりかたそのものに対して多々、文句もあったけれども、俺が登録していた支店のスタッフの方々は好い人達ばかりだったし、色々な事を学ばせて貰った。
だから、それに対してはきちんと礼だけでもしておきたかったのだ。それが俺なりの義であるから。


 支店に到着し、まず先述したチラシ配布の給料を貰うと、「今日はお別れ飲み会やるんですけど、一緒に行きましょう」と声を掛けられた。
声を掛けられる事は有難いけれど、今はそっちに回す金は無いし、参加者のバイト達に親しい奴も居なかったので、行った所でぽつんと浮くだけだろう故、丁重に断りつつ、その時間まで訪れて来た人達の内、顔見知りの人達に丁重に礼を述べる事を繰り返す。
やがて来る人も居なくなり、飲み会の時間となったのでその場に居る人達に改めて礼と別れの言葉を告げ、もう来る事は無いだろうその支店のドアを出た。
−花に嵐の喩えもあるさ、さよならだけが人生だ。
井伏鱒二の言葉を思い浮かべながら幾人かの、連絡先も知らぬ、けれど共に励まし合ったりした奴らの顔を思い浮かべた。
彼らは今も頑張っているのだろうか。
「こんなとこ早く抜け出そう、就職しよう」と言っていた彼は、今は何処かで定職に就いているのだろうか。それとも。


 「美味しい」と言われていた派遣事業すらも、既に淘汰の波が訪れ始めている。
今日と同じ明日など、ない。何が起こるか分からない。
派遣であろうと、正社員であろうと、公務員であろうと、俺達は様々なリスクの上でタイトロープをしている。
そしてそれは収入手段、職業、社会的地位というものばかりで無く、人間関係や俺達自身の存在自身にもまた言える事。
別に悲観的になったり、ネガティヴな思いを抱いている訳では無い。
ただ、日々忘れているその「危うさ」を思い出しただけなのだ。
そう、何人も漏らす事なく、須く俺達は常に危うい。
肝心なのは、その「危うさ」の振幅を如何にして少なくさせる事、なのだ。