任務:馬車の従者として全うせよ

 実は、今日の任務も少し気が重かったのだ。
先日のガソリンタンク製造の任務の際、一緒だったバイトの人から、今回の現場のリーダーの、あまり良くない印象を聞いていたからなのだ。
曰く。年が若いのに口がキツイ、とか、自分は働かないで人にばかりやらせる、とか。
その若さ故に会社の力を自己の力と混同し、妙に人を見下したりするタイプなのかなと想像していた。
実際、そう言う者は少なくは無いし、俺自身も経験がある。大学の時だったけれど、小さなミスをしたり、教わってない事を指示され、逆に問うた時などに「これだから学生はよう」などと言われ続け、腹は立ったが「学歴にコンプレックスを持った事の証」と勝手にプロファイルして、憤りを抑えていた。
だから、「そう言うのなら煩わしいだろうな」とは思ったけれど、それでも仕事は仕事、俺は己の職責を全うするだけだし、年齢がどうの等と言うのはナンセンス、と現場に赴いた。


 現場は、大井競馬場。独特の動物の匂いが漂っている。
仕事はイベントの補佐、という事で、俺の他には2人の女性が派遣されて来た。
程なくして件の担当者とも合流。なるほど、年は若そうだ。恐らくは20歳行くか行かないか、と言った所。
挨拶を交わし、ミーティングに移る。
今日の実際の任務は、「トゥインクルレース」というレースの合間に行われる「トゥインクルクルーズ」という、抽選で選ばれた人を馬車に乗せて馬場を走ると言うイベントに来訪者を勧誘、案内することと、そのイベント自体の補佐。
案内業務は既に某自動車メーカーでの仕事で慣れている。勧誘もまあ、特にどうって事はない。
問題はそのイベント自体の補佐の仕事だな、とミーティングを終え、いざ。


 今日は平日で来訪者数が少ないらしい。色々と取り決めで、勧誘する際の条件に見合った人を探しだし誘うのだが、皆恥ずかしがったりしてなかなか承諾してくれない。
最低、20組近い人を集めない事にはイベント自体の成功が危ういと聞き、鷹の様にターゲットを探し、アタック。結果は上々、規定時刻までに俺一人で10組近い人の勧誘に成功し、少なくとも文句は言われないようにする。
一応のノルマはクリアされたので俺達スタッフは食事休憩。現場のリーダーの人と色々と話す機会を得たのだが。
…なんか聞いてたのと随分違いますよ?
普通に敬語使われるし、リーダーもスロを打つらしいから、共通の話題で盛り上がれたし。特に偉ぶってる訳でもない。あれ?


 そうこうしている間に食事は終わり、競馬場の馬場のド真ん中へと移動、いよいよ本日の任務の本番とも言うべき仕事。
ミーティングの際の説明でもあまり要領を得なかったのだが、いざ始めてみれば。
…俺、馬車の従者ですよ。
実際には、馬糞を軽く掃除したり、当選したお客さんを馬に触らせたり写真を撮ったりした後で馬車に案内し、馬車が馬場に行く際に埒(馬場の周囲の柵)を外し、また戻ってきたらそれを閉め、お客さんを返す仕事。
どんなバイトやねん、と一人ツッコむ。


 準備を終え、連れられて来た馬を間近で見る。でかい。暴れ馬が来たら軽く死ねるな、などと興味津々で見ていたらリーダーや騎手の人から「触ってみる?」「写真撮りましょうか?」と。いいんですか?
言葉に甘え、馬に近づいて顔を撫でてみる。馬は、猫や犬のように撫でるよりもポンポンと鼻筋を叩いてやる方を喜ぶと言う。
では、と目を見、「お前でかいなー」などと話しかけつ、ポンポンと叩いてみる。向こうも俺をじっと見つめてくる。
少なくとも嫌がってはいないようで、笑いつつ「お前良い男だねえ」と言ったらニカーっと笑って返してきた。


 勿論、仕事中ではあるので程ほどにして雑用をこなし、お客さんの案内も卒無く行う。
計、3回お客さんを案内するのだが、暗くなってくると場内は明るく照らされ、そしてイルミネーションが点り出す。
夕暮れの競馬場も綺麗だったけれど、暗くなってからもまた綺麗。その中を、お客さんを載せた馬車が行く。
気付けば、その様子が大きなスクリーンに中継されている。
「これって、テレビで中継してるんですか?」と問うと、一部チャンネルだけどされてるよ、との答え。そうか、皆恥ずかしがっていたのはこれか。
期せずして俺のバカっ面をTV放映させる。


 3回のイベントが恙無く終了し、馬車を掃除して片付けたり、全レースが終了してから馬を返す際に口元の手綱を引いたりして、本日の任務は完了。
単に初めてだから、と言う事もあるのだろうけど、別にキツい口調で何か言われたり、或いは俺ばかりいやな仕事させられたりと言う事もなく、寧ろ和気藹々と言った風情で仕事を終えた。
終いには、「良かったらまた応援に来て下さいよ」と言われる始末。あれ?


 前述した様に、俺は仕事である以上は年下の者から命令される事も当然の様にあると思っているし、また一々そんな事を気にするキャラでも無い。
けれど、やはり前もってそう言う話を聞いていればナーバスにもなるのだが、結果として、今日はナーバスになるような要因さえ無かった。
俺に話をしてくれた、ガソリンタンクを製造する時のバイトの人がどうだったかは知らないし興味も無い。
だが、彼がそう感じた事自体は事実なのだろうし、そして俺が感じた事もまた事実なのだ。
その間の誤差が何によるものだったのか。
自分でも以前書いた事があるけれど、情報を鵜呑みにして頭から信じてしまう事は恐ろしい。
予備知識として頭の片隅に入れて置く事はとても重要だが、実際に自分の目で見、そして体感する事の方が遙かに重要だ。
当然、自分自身で体感出来ない事も数多い。それは新聞なり何なりと言ったメディアの力に頼るしか無いのだけれど、そのメディア自体も単一のものを鵜呑みにするのではなく、複数のものを見比べ自分で判断する力を持つ事。
その、リテラシーの力を磨く事はとても重要だし、忘れてはならない事だと痛感した。


 今日の仕事の給料自体は、拘束される時間と比べるとあまり良くは無い。
その点でのみ、次回声が掛かった時にまたやりたいと思えるかどうか微妙ではあるけれど、金の事を抜きにすれば、とても楽しい仕事であった。
いや、仕事したと言う気にはなれない。為すべき仕事はこなしたと言え、どちらかと言えば俺もまた案内した人達と同じように観光気分で居た事自体は否定出来ないのだから。
ま、役得と言えばそれまでなんだけれどね。