任務:某製薬会社社員に偽装せよ

 今回の任務は某製薬会社社員に偽装しての販売応援。
販売応援、というのはスーパー等で数多ある商品の脇に立って「いっらっしゃいませ、如何ですか」とかやってるアレだ。
店側が手が足りないからと言う理由で召還される場合もあるし、商品を販売する企業がサービスとして行う場合もある。
試食販売もその類の一つだろう。
そして、今回の俺の場合は企業からのタイプ。故に、俺は某大手製薬会社の営業社員に偽装して単身潜入する。無論、その企業から直に指名されてのものではなく、孫請けと言う極めて損な立場での派遣であるが。
販売応援の類は幾つかやった事があり、そのいずれも企業の社員に偽装してのものだった。
ただ今までのものと違うのが、実際に販売数を上げねばならん事だ。
ノルマは存在しないが、販売数などを報告する為の書類も手渡された。


 同じ横浜市内ではあるが端と端である為にやたらと時間を掛け、現場に到着。
店舗の責任者とまずは挨拶、と思ったらお休み。しょうがない、孤立無援、徒手空拳でのミッション開始。
とはいえやる事は声を出して客を引きつけ殺虫剤、防虫剤の類を売りつける事だけ。
前日予習もしてあるし、売るだけでは特に困るようなものもない。
ただ、単に突っ立って売っていれば良いと言うものでもない。客は俺もそのスーパーの店員と思っているので、それも踏まえた対応をせねばならん。
例えば、客から「酒売り場はどこ?」と聞かれたら(つぶさ)に答えられねばならないし、例え分からなくとも「少々お待ち下さい、担当の者を呼んで参ります」などと上手く繋がなくてはならない。
だから、担当するコーナーだけでなく、店舗の何処に何があるかは把握していなければならない。体感上では、俺に対する問い合わせの内3割は全く関係のない売り場などであった。


 こういう販売応援の仕事をすると、必ず欲しいものが出てきて。
今回俺が欲しいと思ったのは、ガンタイプの対蜂用殺虫剤。500mlのペットボトルよりも二回り程大きな缶に、グリップとトリガーが付いていて、遠く離れた蜂の巣にも撃てると言う代物。取り合えず二丁で構え、ジョン・ウーの映画の用に撃ってみたい。
口八丁で殺虫剤を売りながらそんな事ばかり考える俺。


 今回は担当がエスカレーターを上がって直ぐの所に作られた特設売り場。なので、必然的にエスカレーターで遊ぶ子供を見張る役目をも負う事に。
「危ないからエスカレーターでは遊ばないでね」と笑いつつ無理矢理子供をひっぺがす。
引っぺがした側から奇声をあげて戻るのでブン殴りたい衝動に駆られる。またこういう子供の親は大抵、「この親じゃな」と言う感じの親が多い。「危ないから」叱るのではなく「俺に怒られるから」叱るタイプが殆どだった。
そう、子供と言えば。
販促用にDVD一体型TVを置いてリピートでCMを放送しているのだが、それが昼過ぎ位から子供用の街頭テレビのような状況になる。
中でも、眼鏡を掛けた坊主頭の子供−水木しげるの描くマンガに出てきそうな感じだったので、個人的に水木と命名−は3時前位から6時過ぎまでずっとそのテレビの前で見ていた。内心、俺の代わりに仕事するか? と言いたくなった程だ。
他人の家庭環境など興味はないが、少しこの子供の環境はどうなのだろう、と心配になった。


 ま、何だかんだ言ってもやはり販売応援は楽だ。
立ちっぱなしで肉体的疲労はあるが、ちょっと疲れて来たら商品整理や在庫確認でしゃがみこんで一時休憩する事も出来るし、見回りに来る本社営業、ラウンダーさえ何とかしてしまえば、総て俺のペースで仕事が出来る。
要は、やる事さえやれば良いのよ。
休憩も常識範囲内で任意、取る事は出来るし、人と話す仕事なので時間が過ぎるのが早い。
延々と単純作業に従事するよりは幾倍も楽だし、どうすれば売れるか頭も使うので楽しいが、如何せん仕事件数自体が少ない。それが残念だ。


 任務を終え駅へと向かう道は、狐の嫁入りであった。
それがなんだか妙に楽しくて、疲れては居たけどスーツが濡れるのも構わず、駅までの道のりを歩く。
やけに紅い西の空。ふと逆を見れば、大きくてはっきりとした二重の虹。


「頑張って生きてるのは何故?
それさえも分からなくなってしまいそうな世の中で 明日は待っている。
あなたの為にも 自分らしく誇らしく居たいね。

寂しくても苦しくても間違っていたとしても
辿り着くよ きっと何時の日か。

そしてもう一度虹を越えて探しに行こう。
溢れる涙拭いて 歩き出すよきっと
微笑んで」


 大黒摩季の「ニジヲコエテ」という歌をふと思い出し、鼻歌程度に口遊(くちずさ)みつ、右手に珈琲、左手に煙草を持ちトコトコと歩く。
辺りが暗くなる直前まで、大きな虹は架かり続けて居た。
とても些細なものだけど、少し幸せな気分になれた。
我ながら安いものだ、と自嘲混じりに思いはしたけれど、でも、金に換えられぬものは確かに、ある。
こんな小さな幸せであったとしても。