真夏の法事

Wacrema2005-07-31

 今日は法事であった。
「あの日」と変わらず、クソ暑い。そんな最中を真っ黒な喪服を着て行くのだから嫌になる。
俺達はホストであるために、他人様よりも早めに寺に到着し、煙草を吹かしつつ来訪者を待ち受ける。
参加者が揃った所で法要の為に講堂に移動し、お経を上げて貰う。


 今日上げて頂いたお経は鎮魂などのものではなく、寧ろ生きている我々の守護なども踏まえたものであると和尚さんが仰っていた。
お経、と言ってもヒンズー語と日本語が混じり混じりになるので、聞いていれば結構どんな事を言っているのかは分かる。
太鼓のリズム−RPM128から140位の4つ打ちのドラムビート−に合わせ読経が行われていく。
やばい、何気に格好良い。ゴアトランスも斯くや、と言わんばかりにプチトランスし始めるも、いかんいかんと思いて背を伸ばし我に返る。
読経の後、和尚さんが説法をしてくれた事が強く印象に残る。
まあ、軽くまとめると「生きてる間は楽しい事も辛い事もあるけど、それを享受し生きて行け。それが生きていく者にしか出来ぬ勤めだし、それは自分の為だけでは無く、他の人の為にもまたしなければならぬ勤め」みたいな事だ。


 その後、墓までマイクロバスをチャーターして移動。
原色の緑と空の下、順に線香を上げていく。
陽射しは強いものの高台にあるから、時折強い風が吹き抜けていく。
明るい太陽と、この爽やかな風が大凡、墓参りとはミスマッチ。


 その後、皆が暑い暑い、と悲鳴に近い声を上げつ、墓の近くにある料理屋で歓談。
親戚一同からのおきまりの「今、なにやってんだ」という問いに対し堂々と「何もやっていないに近い」と応える。
それは事実に他ならないし、隠し立てした所で何の得にもなりはしないからだ。
唯、今の会社組織の派遣や契約社員、アルバイトにもたれ掛かる体勢自体に対しては渦中にある経験を生かし苦言を呈す。
その他、当家の知られざる歴史なども教えて貰い、案外と由緒がしっかりしていた事に驚く。


 ま、どうしてもこういうものになると父親の昔の話などが酒の肴となり、俺達の到底知らなかった側面などを教えて貰って楽しいが、それをネタにからかおうとしても、当人は既に地下に在るために出来ないのが残念だ。
宴もたけなわとなり、皆をお送りする段になると、一同からこぞって「期待しているよ」「お父様に恥ずかしい思いさせないように」などと言われ、予期していたにも関わらず些か食傷気味にはなるが、襟を正す。


 別に、俺は父親に対し恥だの何だの言っても関係ない、とは思っている。だって、俺の人生だもの。
けれど、同時に今の侭では胸を張れないのもまた事実。
今、死んだら冥土で散々叱られるだろうし、身に覚えがあるから開き直りも出来ないだろう。かといって、今の侭では似たようなもの。
だとしたら、やはり俺自身と世界そのものを変えて行くしか無い。
数か月前と比べ、俺と俺のの周りの世界は大きく変化した事と思う。けれど、それではまだ足りない。
何よりも先ず、俺自身が大きく胸を張って死んでいけるように、変えなければならない。


 皆を見送って家に戻ると、丁度近所で花火を打ち上げ始めていた。
この花火をみていると、何だかとても切なくなってしまって、隠れながら少し涙した。
その切なさの源は、何処にあるのだろうか。
唐突にふと、和尚さんの説法を思い出した。理由は分からない。
唯、俺は俺の務めを果たさねばならんな、と思った。