任務:債権の強制執行・回収

 今日の任務は家庭からの荷物の搬出。
でも、普通の引っ越しとは訳が違う。強制執行された家からの家財の搬出だ。
強制執行とは裁判所の命令や税金の滞納処分等の理由により、債務のある者の財産(土地家屋、家財道具のような有体物、または権利等)の使用または処分を禁じる「差押」のように、法律が認めた文書によって国の執行機関が法律に基づいて債務のある者の財産の使用または処分を禁止したり、或いは債権者の債権を回収するための資産を確保したり、また実際に回収する手続のこと。
そうして回収した債務を今度は競売にかけたりなどして金銭化し、債務の代わりとする。


 その「回収」を手伝うというのだ。
派遣屋の説明によると、前回の任務では既に家財一式は整理されており、ちょろっとした荷物を数人で運び、5分で終わったという。それを受けてか、作業時間も短く、従って給金も安いのだが、力仕事を嫌う人ばかりで他に頼めるような人もなく、締め切りが迫ってるのでなんとかやって貰えないだろうか、という事だった。
本来、今日は仕事もなく、仕事の依頼自体は願ったりと言う所だが、その安さと内容にブルーになりつつ引き受けた。


 台風が迫り大雨が降る最中、横浜に隣接するある市へと赴く。
電車とバスを乗り継ぎ集合すると、前の派遣に居たメンツばかり。「なんだよこのメンツ」と戯れ言を言いながら、渡された地図は使い物にならぬので、携帯のGPSを頼りに到着すると、そこは極普通の3DKのマンションであった。
既に執行は始まっており、2社の引っ越し業者とマンションの管理会社の者、そして弁護士などが集まっていた。
強制執行を行う場合、前もって裁判所から「X月X日XX時頃取り立てするので、位牌など特別大事なものは予め分けておくように」などと書類が来る(筈)で、だからこそその「前回」は殆ど荷物がなかった、が。


 室内に一歩立ち入れば、家族が懸命に荷物の仕分け−捨てるものか捨てないものか−をしている最中であった。
まだ生活の痕跡はありありと残り−と言うよりは生活している最中に乱入したと言う方が正しいだろう−、子供は「これ捨てちゃいやだ」と言うのに対し親は「捨てなさい!」と問答無用でビニール袋に放り込んで居た。
その傍ら、冷蔵庫などの家電製品などを片っ端っからトラックに積み込む。
まだ、冷蔵庫には食材が残り、洗濯機は脱水されていない洗濯物が残った侭。カラーボックスに並んでいる本をそのまま段ボールに詰め、最低限の衣類の他は布団袋に入れて圧縮をかける。飼っていたピラニアと亀の水槽は玄関先に出す。
ゴミにしても、そうではないものにしても、まず運送屋が倉庫に持ち帰ってから分別するらしいので、本当に手当たり次第トラックに詰め込んでいく。
それを子供たちは恨めしそうに、哀しげに見ていた。一度だけ眼が合ったが、俺はそれ以降、正面から眼を見る事が出来なかった。


 最初、債務者の家族は妙に若い奥さんと3人の子供以外、誰か分からなかった。と、言うのもその債務者本人が俺達同様に作業服を着た40から50代の男性で、運送屋たちと同化して判別が付かなかったからだ。
恐らく、建設関係か運送関係に従事する者なのだろう。
強制執行と言うと、借金などでの事が多いものだが、離婚して養育費が払われない場合に行うケースや家賃を滞納して行われるケース、また、給料などを支払わない企業などに行うケースもある。
俺達は所詮、雇われた運び屋でしかないので、過ぎた詮索はしなかったが恐らく、このケースは借金、経営していた会社の倒産、家賃の滞納あたりによるものでは無いかと推測していた。まあ、全く余計なお世話なのだが。


 極短時間で行わなければならない理由があるのかは知らないが、大雨と言う最悪のコンディションでずぶ濡れになりながらも、昼過ぎに始めた作業も夕方前に終わると言う素早さであった。
部屋の掃除を済ませ、管理会社の人、或いは債権者に中の様子を見せた後、任務は終了した。
お疲れ様でした、と出て行くトラックを見送り、俺達も帰ろうと踵を返すと、俺の視線には大雨の中傘を差しトラックの行方を眼で追う子供の姿があった。
他の家族は自身が保有する車の中に乗り込んでいるようだったが、女の子一人、じっと身じろぎもせず去りゆくトラックを眺めていた。
上述したが、強制執行された理由は分からない。ただ、言えるのはこの子たちは悪くないのに、と言う事だ。
本当は、その子に「法を知りなさい」と声を掛けてあげたかったが、しなかった。
それは単に、余計なお世話にも程があるからだ。また、法を知ったから何が出来る、と言われたら返す言葉もない。
ただ、法を知り、そして己の分を弁えれば少なくとも、こういう哀しい目に遭う事自体少なくなるのではないか、とは思うのだ。


 今回は、ある意味では俺にとって恵まれていた。
と、言うのも債務者の反対を押して回収したりするものでも、また自殺した人や夜逃げした人の債権を回収するものでも無かったからだ。
それこそ、人がいない所での強制執行なんて、無念情念の塊を運ぶようなものだろうし、例え仕事といえ「もってかないで」等と泣かれてしまっては俺の事だ、恐らく非常にいたたまれぬ思いで一杯になるだろう。


 こんな仕事まで派遣に頼まれるのか、と驚いたが、それもこういう事が決して少なくはない事だから、と言えるだろう。
「景気拡大」と政府は言うがその実感は市民にはほど遠く、家計は確実に楽ではない所も多いだろう。
その上、厚生労働省サービス残業を一部容認するような方針に転換する始末(ソースは>>こちら。
そんな中、家計の為に、或いは会社の運転資金に金を借りる者が増えてもおかしくはない。事実、今TVのCMを見ても金貸しのCMのなんと多い事か。
その結果、強制執行される者が増えたとて不思議でも何でもない。


 今回の任務は、あまり普通見られるような事ではない。
その意味でも、「素人」よりは慣れた者ばかり選ばれたと言う側面が強いだろうし、俺自身も勉強にはなった。
ただ、一方である種、業の深い仕事だと思ったし、あまり携わりたくは無いものだとも思った。
何よりも、あの子供が忘れられん。
別に俺が何か悪い事をした訳では無く、また安易なセンチメンタリズムに陥っている訳でもない。
ただ、あの大雨の中でじっと立ちつくす姿が忘れられん。