サンプリングと卒業式

 今週はサンプリング、つまり配布の仕事ばかりやっていた。
十六種類の茶葉が入ったお茶の試供品の配布では、俺は本来補充要員だったが、声を出さない女の子達に代わって呼び込みするよう代打指名。俺が声を出すや否や砂糖に蟻が群がるが如く試供品を求める列が出来上がる。
発注元の大手広告代理店と飲料メーカーの人達もその盛況には満足したらしい微笑みを浮かべていた。
…と言うよりは彼らの到着を見計らって人を集めたのだが。ただそれでも、俺の一声でああも状況が一変するのは純粋に快感を感じる。無論、商品力あってこそのものだと言う事は分かっている。


 そして昨日は東横線沿線の某駅で小さな冊子の配布。賃貸情報の載ったもので、春からの新生活に合わせたのだろうが、生憎とこの駅は慶応大学の学生たちが多く使う駅で、そして今日はどうやら卒業式。皆、着飾って浮かれており受け取ってくれる学生は皆無に等しい。


 −卒業式か。そういえば、俺は本当に大学を卒業したのだろうか。一瞬、足元がぐらつくような錯覚。
時折、留年が決まって全身の力が抜ける、と言ったような悪夢を見る事がある。
夢から覚めると一瞬、どちらが現実か分からなくなり一瞬冷や汗をかく。
俺は今どこに居るんだ?名古屋なのか?それとも横浜なのか?
その感覚に近い。まるで胡蝶の夢


 −そういえば、慶応も文学部だけ受けに来たな。
卒業証書を片手に着飾った学生たちをよそ目に、Mr.Childrenの「未来」と言う歌が頭の中でリフレインする。
「生まれたての僕らの前には唯、果てしない未来があって、それを信じて居れば何も恐れずに居られた。
そして今、僕の目の前に横たわる先の知れた未来を信じたくなくて、目を閉じて過ごしている」
この着飾った人達の、まあ殆どは過不足の無い生活を送って行くのだろう。それに比べて俺と来たら…と、卑屈な思考が広がって行く。


 分かっている。他者と何かを比べた所でそれが有益になる事はない。ましてや自己否定など言わずもがな、己を腐らす害毒に他ならない。
人は人、我は我なり。とかく我は道を行く也。
他人の目や風評ばかりに囚われて自我を失い行くよりは、せめて心に僅かでも俺は俺だと誇りを持って居たいし、持ち続けねばならない。


 件の「未来」はこんな歌詞で締めくくられる。
「そして今、僕の目の前に横たわる先の知れた未来を、変えてみせる、とこの胸に刻み付けるよ。
自分を信じたなら、ほら未来が動き出す。ヒッチハイクをして僕を迎えに行こう。」
…まあ動かねばならんだよ。動かねばな。