巨大な蜘蛛を護衛せよ

Wacrema2009-04-17



 横浜では、今年開港150周年を記念して博覧会が行われる。
そのプレイベントとして、フランスから大きなロボットを操るアーティスト集団が来日し、3日連続でショーを行うのだが、その1日目に仕事として行ってきた。
30人程度の人を引き連れクライアントとの集合場所に赴き、挨拶をした後に待機場所である倉庫へ。
入り口ではフランス人達が煙草をくゆらせている。こちらに気がつくと「コニチワー!」と挨拶をしてきた。
素で「おはようございます」と挨拶してしまったが、気を利かせて「Bonjour」とでも言えば良かった。他にフラ語知らんけどな。
着替えを終えると、クライアントから3人リーダーを立て、俺の他に2人見知ったしっかりした奴をリーダーに立てる。更に後、リーダー不在チームと俺たちチームに分けられ、俺達は「蜘蛛護衛」という仕事となった。


 詳しい説明は後ほどするからそれまで待機、と言われたのだが。
それから3時間近くずっと待機で。まあ煙草吸えるし良っか。
スタッフの中には前日のリハーサルに参加した者もいて、どんな事をするか話を聞いてみたものの。
「前日のリハと同じ事が全く無い」という返事。リハの意味ゼロ。うっは。
日が落ちてくるに連れ、風が強く、冷たくなりだし、更には雨も降り出してきた。うーむ、色々と不安だ。


 待機中、フランス人とも少し話したが、本当は護衛とか付けないで出来るだけお客さんに近くにで見て貰いたい。驚き、楽しみ、感動を近くで味わって欲しいというような事を仰っていた。
なので、決してお客さんを排除するような感じにはしてほしくない、と。
階層で言えば頂点近くにいるクライアントの要望だし、とはいえ俺たちもすべき事はあるので、なるべくご要望に添うようにします、とだけ答える。
しかし、直後に件のリハに参加したスタッフは「昨日もそんな事仰ってたんだけど、(俺たちの直上のクライアントの)チーフはもうひたすら怒鳴って『さがって!』って連呼してたよ。フランス人の意見まるで無視」と言っていた。
ま、安全面の問題もあるけれど、なんだかな。フランスの人たちの気持ちもすごい分かるからな。


 いやしっかし、フランス人格好良いな。普通のおっさんですら格好良い。
足長いし、普通の作業着だろうけどなんかお洒落だし。移動用の自転車も持って来ていたみたいだけど、それも普通のママチャリとかじゃなくて、お洒落自転車だし。
しかもやたらフリーダム。倉庫内禁煙、と言われてるのに平気であちこちでスパスパ。
まあクライアントのヒエラルキーでトップクラスな訳だから、当然と言えば当然なんだが。
ちなみに俺たちはヒエラルキーで言うと6次とか7次とか、下手したらもっと下です、はい。


 暇疲れし始めた頃、ようやく「蜘蛛護衛チーム」にお呼びがかかる。
さて、相応に気合い入れて行きますか、と思ったのも束の間、「蜘蛛護衛は無くなりました」とさ。
…これ、本当に綿密な打ち合わせとかしてんのか?
面白そうな場所だ、と思っていたが残念。代わりに遊軍として、忙しいとこのサポートに周る。
他の所でも手空きになった者が多いらしく、遊軍の人数は当初より増えている。
しかし、仕事がない訳ではない。予め設置してある柵を唐突に移動する事になったり、それをまた戻したり。
時間も押し迫って来ているのに、こんなんで大丈夫だろうか。


 しばらくすると、俺たち数名は赤煉瓦倉庫の縁でお客さんの案内誘導を任される事になった。
なんでも、赤煉瓦倉庫の一番北寄りの歩道を蜘蛛が歩くので、倉庫から人が降りないようにして欲しい、と。
更に、俺は入り口の所なので人がそこに止まらないようにするらしい。
ポジションに付き、誘導をしていると海側で音楽や歓声が上がった。どうやら始まったらしい。お客さんもそれに乗じ増えてきた。
突然、スーツを着たちょっと偉いポジションに居そうな方が「後ろで炎や煙が上がるので、気をつけてください」と注意しに来られた。
了解です、と答えたものの、おいー、初めからそれ言ってくれよと思わなくもない。
基本、こういう時はお客さんの方向を向いていなければならない。なので後ろで何が起こるかは分からないのだ。
するとまた突然、後ろから「スタッフの人!来て!」と大きな声が。
後ろを見ると、ヘルメットを被ったスーツ姿の人が手を挙げている。
俺が行って良いのかな…と思いつつも、ぴゃっと走って話を聞くと、火を上げる装置の周りの柵を急遽拡げたいらしい。
ちょうどチーフが来たので呼び、その旨を伝えると半ば切れ気味に「間に合わないかも知れませんが良いっすか!」と答えている。
うん、気持ちは分からなくもない。なんで今更、と。が、そこまでテンパってどうする。ま、取りあえず俺たちは迅速に行動を起こすだけだ。
近場のスタッフを呼び、何とか柵を拡げるのに成功。ポジションに戻ろうとすると、既に蜘蛛が姿を見せていた。
いやーでけえええええええ。高さは赤煉瓦の屋根まであるかな。長い手足をゆっくりと動かして歩く様はとてもリアル。時折、尻から糸に見立てた水を噴射している。
俺のポジションでは既に黒山の人だかり。本来の業務に戻り、人の移動を促したりしていると先程のチーフが「降りろ!」と命令。
あんた登れつったじゃん…。まあ縁のギリギリまでお客さんを来させれば、より多くの人が見やすくなるし。
後ろでは、件の火炎放射器が火を吹き始めた。遠く離れていても暖かさを感じる。この寒風の中では結構ありがたい。


 程なくして蜘蛛が近づいてきた。大きな音楽が鳴り響く。手足は赤煉瓦の縁ぎりぎりまで伸びている。
てか俺たち、このままじゃ轢かれるね。そう思っていた矢先にまたチーフから「登れ!」という指示が。
まあそうですよね。
蜘蛛の手足のブレは結構あって、縁ぎりぎりでは危ない。重さも相当あるだろうから、ぶつかったら頭多分カチ割れるだろう。
興奮するお客さんを下がらせていると、急に煙幕がたかれた。
…なんも見えん。とりあえず手を広げて、近づこうとするお客さんを下がらせるのに注力。
当初入り口付近で人を止まらせない、なんて言ってたけどこれキツイ。しかもこの煙が赤煉瓦の中にどんどん入っていって、中も朦々としている。
煙の次は火だ。
数カ所に設置してある火炎放射器から音楽に合わせて火が上がる。お客さんの歓声も大きくなる。
確認のためにちょろちょろと見るたび、俺も心の中で「すっげー」とシンプルな感動を覚える。
蜘蛛は陸側、道路の手前まで来るとそこでUターンをし、また海側へと戻っていった。
去っていく蜘蛛を眺めるお客さん達に少しずつ移動を促していると、唐突に爆竹の破裂音が響き渡った。ちょっとびっくりだ。
数分間に渡って破裂する爆竹。風に乗って火薬の刺激臭と、煙、燃えかすが飛来してくる。
それを避けるように、お客さんも次々と離れていく。
呼応するように、俺たちもポジション変更となる。


 次のポジションは先程爆竹が破裂していたところだ。
不発弾が結構残っているようなので、処理が終わるまでは人垣を作ってお客さんを立ち入らせないようにする。
イベントとしては終幕で、蜘蛛に何やら泡みたいなものを掛けているのが見える。風が強く方々に散っているけれど、それはそれで吹雪のようだ。
音楽が鳴りやむと場内から拍手と歓声が巻き起こっていた。
どうやら、このイベントはストーリー性があるらしい。
俺は開幕を見ていないから分からんが、想像すると。
蜘蛛起きる>火で炙られる>煙で追い払われる>爆竹で脅かされる>蜘蛛丸くなってしょんぼり>泡で閉じこめる。
こうですか、わかりません。


 イベントが終わると機材の撤収。
翌日も同じイベントやるんだから柵とか残しておけば良いのにと思うが、余計な口出しして叱られるのも嫌だし。
頭数は多いので撤収も素早く終わり、業務終了。
着替えて倉庫から外に出ると、ちょうどフランス人技師達が先導して、一仕事終えた蜘蛛が休む準備をしていた。
この光景は俺たちの特権だな。
まあ大きな声で言うべきことじゃないし、機密保持などもあるから深くは言えんが、段取り悪いな。
事前の連携、連絡、そして当日の指示。諸々において素人目にも及第点とは言えんだろう。
ただ、お客さん達が喜び。そして「俺たちしか見られない光景」。
その二つを得られるのは醍醐味でもある。それこそが俺たちの美味しい餌なのだ。


言い過ぎました。一番の餌は銭です。高ければ高いほど美味な餌です。