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それに伴って、今までのHPのアドレスが使えなくなります。
しかもHPのパス忘れました。
大慌てです。


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いやもうどうしよう。ほんとどうしよう。土曜は仕事で殆どパソコン触れなかったし。
取りあえず日記は過去ログだけサルベージ。
俺ずいぶん長々としょうもねえ事書いてるなと再確認。
…いや、じゃなくて。
あーもう、めんどくさいったら。

新潟紀行2008・夏 第三幕:新潟市歴史博物館探訪


 誰だよ翌日晴れつったの。
相変わらず不安定な天気。これじゃ泳げないよ。
しょうがないので、暇つぶしに新潟市歴史博物館とやらを探訪。
そこは新潟の旧税関で、そういえば昔、祖父に駅や空港まで迎えに来て貰った時に良く通っていた。
そうか、あの建物がこれか。よく見ると明治期らしい一風変わった建物だ。
足があるっていいねと実感。


 そこでは「ムラの学校・マチの学校」という企画展をしていた。
まあ新潟の教育制度の変遷みたいなのですな。
これが意外とおもしろくて。
例えば、江戸時代から明治初期には寺子屋という私塾制度があったのだけれど、意外な事に現在の新潟市内中心部よりも、新潟市周辺部や市外の方が生徒数も教師数も、それから寺子屋の数も多かったようだ。
その理由は書いていなかったが、推察するに米の生産と豪農と言われる人たちの存在などに関係するんじゃなかろうか。
米を作り年貢として納めるには読み書きそろばんが出来た方が良いし、また豪農と言われる人たちがパトロンとなってムラの知識レベルの向上に一役買っていたのではないかな、と。


 進んで見ていくと、昭和7年の運動会のプログラムが貼ってあった。
これもまたおもしろい。ほとんどは徒競走とか、騎馬戦とか俺の子供の頃とそんなに変わらないんだけど、特筆すべきものを下に記そう。
・権兵衛と鳥:のっけからわかりません。Googleっても「図録 / 小杉放菴記念日光美術館 所蔵作品撰」しか出てこない。
       一種の追いかけっこみたいなものだろうか。
・遊技 我が満州:時代を感じさせる。同じくググっても出てこない。ダンスみたいなものだろうか。
・防火競争:バケツリレー?
・魂入れ:よく見ると玉じゃなくて魂。
・皮むき競争:なんの皮を剥く競争だろうか。想像に容易いのはタマネギだが、意外と大根かつらむきの長さくらべとかだったりな。
・支度競争:指定された服に着替える時間を競う? 時間に追われた現代人もこれは強いですぞ。
・渦巻き行進:ググった所、「周円をかきながら歩き、中央の旗で反対周りになって帰ってきます」というものを発見。
       俺は初耳だったが、地域によってはメジャーなのかな。伊藤潤二とか思い出したのに…。
その他にもラヂオ体操が何故かすごい半端なとこで行われたりなど、色々と勝手につっこんでおもしろがっていた。


 企画展を見終えて常設展を見ていると、市内には結構古い建物が現存していると分かった。
そういえば、車で市内を走っていると色々な古い建物が目に入る。
本当はもっと近くで観察したいのだけどね。
一通り見終えて、ミュージアムショップを覗くと、書籍などの他に有名な絵をクリアファイルにしたものもなども売っている。
俺は「鳥獣人物戯画」と酒井抱一の「春秋草図屏風」のクリアファイル、それと鳥獣戯画のステッカーを衝動買い。


 ここは裏がすぐ港に面している。 
雨が上がり良い天気なので博物館を出て一服しながら歩いていると、廃墟マニアのソナーに感。
嗅覚の赴くまま行ってみると、造船所の廃墟が。
もう取り壊しの最中で正直面白みには欠けたが、良い写真が撮れた。
新潟ってひょっとしたら、こんな感じのがまだたくさんあるのでは…
この期待感が明日へと繋がるのだが…
つづく。


追記:写真はSDカードに入ってるんで後ほどUP。

新潟紀行2008・夏 第二幕

 携帯で長文打ってたら操作ミスでまるっと消えて意気消沈してた人です、こんにちは。
モチベーション戻ったんで前の続きをば。


 新潟に来て、車を借りる事が出来たので色々なところを訪れてみようと思い立った。


まずは海沿いの道をひた走り、寄り道しながら寺泊へ。
出発する前に軽い降雨があったが、走り始めると青空が見えてきた。
窓を開けタバコを吸いながら、夏の雰囲気を感じようとしていたが、少し肌寒い。おかしいな、夏なのに。
しばらく走ると空は黒くなりだし、強い雨。そしてそのまま少し走ると雨雲を抜け晴れ間が見える。なんだこの天気。
記憶にある夏の新潟は、照りつける太陽の下、体が冷えるまで海の中に居て、寒くなったら砂浜に寝転んで体温を上げる、という感じだったが、これでは潜る前から肌寒かろう。
雨と晴れとを繰り返す海辺の道のりを、納得の行かない顔をしつつ進む車。


 近い気がしていたが、新潟市内中心近くから寺泊は案外と距離があった。
まあ普段運転しないから距離感を掴めてない、と言うのもあるのだろうが。


寺泊に到着し、まずは魚市場を覗く。
夏場ゆえにあまり良い魚や珍しいのは見受けられないが、観光客は夏休みもあってかとても大勢来ており、名物と呼ぶべき浜焼きも結構なスピードで売れて行く。
一番人気は烏賊の串焼き。次点は鯖の串焼き、サザエあたりだろうか。
見ているとアカウオなる魚や春告魚と言う魚、そして旬は冬ながらも年を通して旨いと言うノドグロなる魚の串焼きも売っている。
尤も、俺は個人的に魚介類にはあまり興味が無いので、コシヒカリの団子だのソフトクリームだのを喰うに留まる。


 ひとしきり見終えたところで車の方に向かうと、駐車場から少し離れたところにある海の家のような建物に「骨董」と書いてあるのが目に入った。なるほど、良く目を凝らすと店の前にも色々な売り物らしき我楽多が積んであるようだ。
これは面白いもの発見、と近づくと、店の扉が閉まっている。
売り物は色々外に出しっぱなしだが、どうもこれはお休みのようだ。
少し残念だな、など思ってたら数軒横にも骨董屋が。
こちらは開いていたので少し見学させてもらう。

 骨董、と言ってもほとんどは田舎の古着、古道具。生活の匂いのする色褪せたものが多い。
しかしそれもまた味がある。そして安い。
消防団やお店の法被などは2000円程度だったし、着物も大体数千円。一部婚礼衣装のような金糸を多用した衣装は高かったが、当然と言えば当然。
しかし幾ら安いからと言って自在鉤や糸車買ってもしょうがないし。火鉢は惹かれたが重くて持って帰れない。
高校野球のニュースに夢中の主に会釈をし、店を後にする。


 家に戻るにはまだ早い。  
この近くに温泉があると聞いた。そこには岩盤浴もあって、それが膝の痛みなどにも良く効くという事だ。
工場勤めで膝を悪くしたので、リハビリみたいなもんと思ってその温泉に向かう。
海の道から一転、山を越え目的の温泉を目指す。
小一時間ほど走って、特に迷うこともなく温泉に到着。フロントでバスタオルを借り、湯船へGO。
この温泉は少し塩っぱい感じ。露天で暖まっていると、ふと湯船の横から湯が沸き出している所がある。その周りには砂が少し溜まっている。
やはり、海が関係しているのかしらん、などと思いつつ、岩盤浴を探すも見あたらない。
おかしいな、と思って従業員に訊くと、その岩盤浴の湯殿?は同じ建物だが別の場所にあるという。
迂闊、最初に岩盤浴をしたいと言わなければならなかったのだ。
まあ温泉自体普通に堪能したんでこれはこれで良しとするが、少し勿体ない気分。


 風呂から上がると周りは暗くなっていた。
夏とはいえ雨模様だから夜が早い。
小腹も空いたので古町へ赴き、晩ご飯を食べて帰還。
天気予報を見ると翌日は晴れっぽい。明日は泳げるかな。

新潟紀行2008・夏 第一幕

四年振りに訪れた新潟は思いのほか悪天候
天気予報では一週間ずっと雨マークだし。
水着も持って来たんだけどなあ…


到着すると、祖母や親戚たちが久しぶりに来たのだから、と寿司屋に案内してくれた。
古町と言う新潟市の繁華街の裏道にある「翁寿司」。
叔母が接待でも使うと言う程の店で、自腹で行く事はおそらく出来ないだろう。
正直、俺は魚介類が苦手でマグロばかり食べていたら、せっかくだから他のも食べろと促される。
まあ大人なので笑顔で「そうですね」と頷きちまちまと白身魚などに箸を伸ばしたところ、刺身皿に鮑だのホッキ貝だのが強制的に空爆
思わず顔が(´Д`)となる。
「まあ騙されたと思って食べてみろ」と勧められやむなく口に運ぶ。
初めてのホッキ貝は予想したよりも生臭さが無く、甘さを感じる。
歯触りはコリコリとし、貝とはこういうものかと知る。
続いて鮑。
これは…味ないね?
そのくせ歯触りは硬い。そうだね、味の無い軟骨をボリボリかじっている感じ?
まあ食えなくはない。
調子に乗って栄螺(サザエ)も口に運ぶ。
…後悔。磯臭い。好きな方はこれが堪らないのだろうが。
酒で口を洗い大人しくマグロ中心のローテーションに戻る。

腹も膨れたところでお開き、タクシーで戻る。
途中、大粒の雨が降り出した。
天気予報通り、天候が不安定だ。
明日から大丈夫かな、と不安も残るものの、初めて貝をちゃんと食べた「やりおった(←星一徹の声で)感」の方が強く残る。

自動車部品工場でのライン作業:見るだけライン編


 もうかれこれ一年以上になるが、某大手マテリアルメーカーの子会社で自動車部品の組み立て、組み付けの仕事を行って居た。
初め、俺に宛がわれたのは「外観検査」というモノを見るだけの仕事。
ドアロックの構成部品にひびや、傷や、異常が無いかというのを見るだけ。
まあ、誰でも出来る仕事。俺は大江健三郎の「見るだけの拷問」という小説をなぜか思い出した。
幸い、ライン長は若い社員で、非常に気楽な所だった。


 当初は俺ともう一人の派遣とでやっていたけど、後に彼は逃げだし、俺が一人で対応することとなった。
一日当たりの予定生産量は2000個程度。こう書くと多いように思えるけど、慣れてくれば時間当たり300個とか普通に検査出来るんですわ。
従って俺一人で十分だったのだが、別のラインで問題を起こしたフィリピン人のおばさん(以下ピーナ)がここに島流しされてから様相が変わる。
俺一人で十分なとこに、人が増えるからやることがなくなる。
ダラダラとわざと時間を掛けてやったりもしたがあまり俺の性には合わない。
しょうがないので他のラインに応援に行ったりする内に、そこの人とトレードの話しが出るものの、当時そこは毎日残業4時間、休日出社がデフォルトだったので無理ですと断る。


 更にしばらくして、外観検査ラインにまた一人おばさんが送りこまれてきた。
俺が来る前から居る人で、あだ名を幽霊さんと言い、話し方も行動も鈍臭く、かなり不思議ちゃんな人物だった。
その人が送り込まれて来てから「ここって駄目な子ライン?」と思い始める。
3人居るから予定生産数も引き上げられたものの、大体俺は半日から、遅くても午後には仕事を終え暇になる。
そうすると今度は、翌日、翌々日分と先行するのだが、やがて見るべきモノが無くなる事態。
丁度その頃、生産現場を現在の1Fから2Fの倉庫へと引っ越す予定が持ち上がっており、俺はその引っ越し先の掃除やペンキ塗りなどに狩り出されるようになった。
俺が誤ってペンキ塗り立ての所に踏み入ってしまい、今も足跡が残ってるのは懐かしい思い出だ。
こうして、冬の気配が訪れ始めた頃に生産現場は2Fへと移り、俺の仕事もまた別の局面を迎えたのだが、続きはまた次回。

俺は仕事をやめたぞーッ!


 つう事です。
まあ身体が本格的に壊れる前に、一度しっかりと休んだり診て貰ったりしようかと。
どんな事やってたか、とかは改めて書くよ。
因みに、仕事を辞めたと言っても方々へと派遣される事自体やめた訳じゃないんであしからず。

何一つ良い事の無い日


 クソ暑いからと家を出、タバコ吸いつつ外を歩けば、横合いから殴りつけられるようにヒステリックな声で歩きタバコを注意され。


 スロット打てば俺が止めた台をすぐに釜を掘られ。
かと言って、俺にさしたる見せ場はなく。


 挙げ句、帰りの電車では挙動不審なおっさんの正面だし。


 ま、そう言う日もあるさ、って事くらい分かってる。
でも、何だかな。せっかくの休日なのによ。