「原作」と「ドラマ」の乖離


 パチスロ北斗の拳」を調べて居る内に、>>こんなのを発見してしまった。
スロとは関係ないんだけど、頭悪いから見てみ。



 ひとしきり笑わせてもらったところで、ふとこう言った類の原作のあるものをまた別の形で表現するってのは難しいもんだな、と思った。
と、言うのも、原作に対してはそれぞれが、その原作を好きであればあるほど思い入れが出来てしまうからだ。


 俺がなぜ笑ったか、というのは、その原作と甚だしく乖離しているイメージそのものに対してである。
大して思い入れなど無いのにこうなのだから、まして、好きな人には苛立たしい思いさえ感じさせるかも知れない。


 言いかえれば、こうした原作のあるものをドラマなり何なり、別の形に加工しなおすと言うのは、その原作に対して相応の知識と思い入れなどを有していないとならないだろう。
ちょっと齧った程度で別の形に直せるなど、到底思いがたい。
そうした意味からすれば、このリンク先の映像を作った奴は果たして、本当に原作を読んだのだろうか、とさえ思いたくもなってしまう。


 そして、本当に原作を読んだのか、という事でもう一つ>>こちらを参照していただきたい。


知る人にはおなじみ、江戸川乱歩の小説をドラマ化するらしいんですがね。
もうね、見る前から文句あるよ。
明智小五郎藤井隆ってどうなのさ!
明智って言ったら眉目秀麗でインテリジェンスに溢れた御仁、と言うのが一般的なイメージで、例外的なハマリ役として、「屋根裏の散歩者」で嶋田久作が演じた事があったが、ともかく、藤井隆明智とは似ても似つかない、甚だしくかけ離れたものがある。


 で、更に。
なんか第一話が「人形椅子」をモチーフにしてあるんだけれど、予告見る限りいきなり、殺人事件にし立てているようで。
違うでしょ。
あれは生きながらにして椅子の中に入り、その椅子に女を座らせている事、それを敢えて教えてやる事のエロティシズムでしょう。


 なんか見る前から見る気が失せるドラマってのも珍しい。
このプロデューサーなり脚本家なりって、本当に乱歩読んでるのかしらとさえ思いたくなる。
まあ、まだ本放送見ていないのでひょっとしたら大化けする可能性もあるけれど、多分俺の予想通り駄目駄目な感じで幕を閉じるような気がしてならない。


 原作ものを別の形に仕上げると言うのは、やはりそこにある、読者やファンの思い入れを汲む事、そして作者の作り上げたイメージを重視する事が大事なんだろうね。
そうした意味では、この乱歩は早くも失敗しているかも知れない。