AERAの「子無し夫婦の負け犬感」と言う記事に噛み付く

 AERA、と言う雑誌がある。
小泉訪朝について書く為の、参考資料として買ったのだが、それを読んでいたら肝心な所ではなく別の記事にカチンと来たので噛み付こうと思う。
肩を回し、軽く首を左右に振ってストレッチをしながら、それじゃ、行きますよ。


 AERA5/31号の「子無し夫婦の負け犬感」と題された記事。
全文引用すると多分問題があるので端折って書く(興味ある奴は買うなり立ち読みするなりして)。
コラムニスト酒井順子の著書「負け犬の遠吠え」で定義されたと言う「30代以上未婚、子無しは女の負け犬」であると言う説。
それに端を発した企画で、所謂「負け犬」ならずとも、負け犬感を強く抱いている人間が多いという。その中でも、「結婚しているが子供が居ない」という子無し勝ち犬からの声が多い事に耳を傾けたモノだという。
幾人かの例を挙げた後、まとめとして「キャリア、結婚、子供を総てを手に入れた『プチ貞子*1』に一気になれると言うのに」と書いてある。


 では、その例の幾つかをまとめ紹介しよう。
・出版勤務のカズコ(33歳)
「夫婦共に仕事で疲れ、週末はセックスなんてしたくない。働き乍ら子供を持つには綿密な計画が必要で、それを思うと前向きになれない。お金にも余裕があるし、専業主婦を羨ましいとは思わないが、ヤンママでも子供を産んでいる総ての女性に負け感はある。」
外資系メーカー勤務クミ(38歳)
「妻ばかりが一番我が儘だと思われてる」と前置きした上で、「最近負け犬の友達が次々と出来ちゃった結婚をして、周回遅れの人達に抜き返されている気がする。」


 えーと。書き出したものの症例少ないね。これを絶対視して考えるのは危険だ、と言う前置きした上で。
この日記を読んだ人の中で、果たしてどれほどの人がそう思っているかは知りませんがね。
こいつら莫迦なんですか?
自分の思考を持つって事、あるんですかね、こういう人達。
つうか、この人らの事だけに限らず、いつからこのジャパンつう国は、1か0かの思考する様になったんですかね。
思考も総てデジタルですか?
これがIT立国って奴ですか?
あん?
コンピューターおばあちゃんも吃驚ですよ。


 以前にもしょうもねえ事で勝ち組だの負け組だのほざいて安易な優越感、或いはコンプレックスを抱く事と、差別意識に浸る事の愚かさを書いたけれども、いやあ、その病魔は深く進行してるんだねえ。
実る程頭を垂れる稲穂かな、と言う言葉は最早、彼方に霞むのか。


 子供作りたくとも、様々な事があって作れない人も多く居る傍らで、こいつらすごい失礼だよね。
手前の都合で子供作らずに居て、それで自称負けドッグですってよ。
そんならとっとと作れば良いじゃん。夫にガンガン生で中出しさせてさ。
夫がそれをしないなら、それは女の責任じゃ無いでしょう。強いて言うなら、夫が負け側−こういう表現大嫌いなんだけど−、妻は何でも無い訳で。
そうじゃなく、「疲れるからセックスしたくありましぇーん」「子供育てたくありましぇーん」。
で、自称負けドッグ。それで鬱々としちゃって。頭の中身は絹ごし豆腐?


 自分がこうしたい、と選んでいる事ならばどうしてそれに対して自信を持てないか。
子供作るにしても、作らんで居るにしても、それは夫との協力関係と共に選択していくものでしょう。
自分、或いは夫婦で選択してきた事であるにも関わらず不安になる。
結局、それは自分の意志と言うモノが無く、ちょっと影響力のある何処の馬の骨だか解らねえ奴が公言している事を頭っから正しいと信じ込んで、それに左右されているだけに過ぎない。
「こういう考え方もあるのか」とするのではなく、最早絶対的規範の教科書としてしょうもない情報に左右されている。
これが莫迦って言葉以外、何が相応しいか。阿呆か、うつけか。


 その事はまとめとして書かれている所の「プチ貞子」という言葉にも象徴されているだろう。
みんなが「良い」って言ったら右に倣って「良い」の連呼。
いやね、憧れとして誰かの生き様を見習う事は良い事だと思うんですよ。少なくとも人生の目標は、メリハリと潤いを与えるものだと思うからね。
ただ、俺と貴君らの生き様が違うように、その人と貴君もまた違うもの。故に、同様の生き様なんて出来る訳ねえし、まして、違うから言って脅迫観念的になってしまっては元も子もない。
それに、メディアで取り上げられた途端に一斉にそれが規範となってしまって、右も左もそれに倣う事の気持ち悪さったら。
こういう人らは、子供が居ないから負け犬になるんじゃあない。
自分が無いから負けドッグになるのだ。それは、なるべくしてなったもの。


 そもそも。
己を知り、自分の価値観、思考、そう言った物に対して例え絶対というものではなくとも、相応の自負を持っている人間なら、人の価値観と自分の価値観が別物であることを恐らく知っているだろうし、だからこそ、自分の背丈にあった事をするものだろう。
子供を産めるような環境になったら産もうと思うだろうし、実践するだろう。
また逆に、今は無理だと思うのなら無理に子供を作る事もなく過ごすだろう。
そうじゃねえから不安になるんでしょう。他人に惑わされ、見栄など張っても所詮は上辺。


 確かに、自分に対して絶対の自信を持ってる奴なんて居ないだろう。
居るとしたら、それは余程のナルシストか狂信者かだ。
でもね、自分の考えを確固として抱き、そして同時に他者の言葉に耳を傾けて判断するて事はとても重要だと思うんですよ。
意固地に耳を傾けないのも問題だし、あっちへふらふら、こっちへふらふらと他人に左右されすぎるのもまた問題。
それは正反対の様で全く同じ事だからね。
他人の意見なんて物は、所詮様々な選択肢を示すカードの一枚。
そのカードを選ぶかは、自分自身で決めなければならない。
選んだ他人の意見というカードが悪い結果を招いたとて、それでその他人を恨むべきではない。選んだのは自分自身なのだからね。


 電気グルーヴの「誰だ!」という歌に、こんな一節がある。
♪吾思う故にこれでいいじゃん
そう、それで良いと思うんですよ。他人の意見が絶対正しいなんて事はあり得ない訳ですから。
少なくとも、自分の思考などがメディアで煽られているのと違うからと言って、それで負け感なんて下らねえ感情抱く理由は更々無いんですよ。
「今は子供持ちたくないな」って言うのなら、それで良いじゃん。
「セックス疲れるから」って言うならしなけりゃ良いじゃん。
どうしても子供が欲しいけど、何らかの制約があって出来ないって言うのと根本的に訳が違うし、そして、作らない事で負けとか言ってたら作れない人達はどうなるんでしょうか。
負けOF負け? それこそ傲慢な、身の程知らずの思考に他ならない。なぜそうなるかなんて、0.2秒も考えれば解る筈です。


 それ煽るメディアもメディア。
元々はAERAのこの記事が悪いんじゃあなくて、元ネタと言うべき「負け犬の遠吠え」と言う本、そして何にでも勝ち負け付けたがる頭の疎かな人達が悪い。
不況やリストラに遭う人達の多発で、経済構造が二極化し始めた頃に「勝ち組」「負け組」って言葉が使われ始めたが、それが受けたのを良い事に本当にどんな事にも、しょうもねえ事にも勝ち負け付け始めたでしょう。
本来勝ちとか負けとか有り得ん事にもメディアが頭を使わずに当てはめ始めた事からこうなっている。
全く、何様のつもりだろうね。


 先程は、それに載せられる人達を差して豆腐だのなんだのと揶揄したが、こう書けば受けるからと安易に書いたりしているするのであれば豆腐以下。
そもそも、勝ち負けなんてのは最終的な結果を示すもの。
サッカーに喩えれば前半30分、日本が一点先取しているから勝ちなんて言わないでしょう。
それに気が付かないのは頭が疎かである証であるし、また、諸所の理由で「負け犬」とされている人達の中には、生まれながらにしてハンデを背負ったり、或いは一時的になっている人も居るでしょう。
そう言った事への簡単な配慮も出来ない、想像力が無いのであればやはり、頭が疎かであると言わざるを得ない。


 今、この文章を読んでる人の中には、所謂「負け組」とされている人達も居るでしょう。
また、この記事や、或いは本に毒されて、鬱々としている人も居るかも知れません。
俺が言いたいのは、そんな事気にせずに、自分の思う道を、自分を信じて行けば良いだけだと言う事です。
上でも書きましたが、独善に陥るのは危険でしょう。
けれども同時に、他人の無責任な、そして時に悪意のこもった言葉なんざに耳を貸す必要など全く無いのです。
言いたい奴には言わせておけばいい。
些細な勝ち負けなどとは違う次元に、俺も、貴君も、数多の人達も存在しているのですから。


追記:俺、ひょっとして釣られてる?

*1:前述の酒井順子命名、総てを手に入れたいキャリア女性のあこがれである緒方貞子に因むらしい。