任務:カーディーラーでの洗車業務

 今まで愚図愚図としていた天気が一転、梅雨明けの快晴となった某日。
かつては庭同然であった関内で「洗車の仕事がある」と言うので承諾してみた。
当日の相棒−以前一緒に仕事をした事のある大学生と、それから通常は主に試食販売をしているという女性とで待ち合わせ、駅からほど近いショールームに赴く。
ただし、女性は洗車ではなく、お茶だしスタッフという事なので中で別れる事に。


 実はこの仕事は嘗て登録していた、そして今は無き派遣屋からやってみないかと誘われた事があった。
当時は春先で気温も低く、絶対割に合わないだろう故に敬遠を決め込んでいたのだが、夏ならば寒さに震える事も手が凍傷になる事も無いだろうと、軽い気持ちで承諾してみたのだが。


 具体的な作業内容は、自動車ディーラーが時折催すイベントの「来場者には無料で手洗い洗車」と言う、アレだ。
社のツナギに着替えて、車に水を掛け、洗剤(普通の台所洗剤)を付けたスポンジで洗い、再度水で流す。その後は超吸水性のゴムっぽい触感のタオルで水気を拭き取る。オプションでEXコートと言う撥水加工も行うのだが、それはホースの先にアタッチメントを付けて吹き付けるだけなので大した手間でもない。
斯様に、何ら特別な技量も、また力も必要とはしない。将に軽作業。
派遣屋の制度上、この洗車と、引っ越しや物流などで良く見られる「名目は軽作業、内実は重労働」と言うものと同じ賃金であるのが馬鹿らしいと思える。
しかし、これが予想通り甘いものかと言えば、寧ろそうではないのであった。


 作業場に屋根は無く、常にぎらぎらと照る太陽の下での作業を強いられる。来客が無ければ日陰にて待避する事も出来るが、ディーラーの来客ラッシュはまず昼前の二時間、ついで昼飯後の二時間。則ち、一番日差しの強い時間なのだ。
「タダでおみやげ貰って洗車してもらえる」と言う事で、そのラッシュの間は途切れる事なく車が来る。
最初こそ喋り倒していた俺と相棒も、次第に口数は少なくなり、口を開くのは呼吸の為だけになり果てる。
容赦なく照りつける夏の太陽は、体の毛穴と言う毛穴から滝の汗を流させ、下着をずぶ濡れさせる。その汗が乾く側から汗をかくので、雑菌が繁殖し始め厭な匂いを俺の体中から発散させ、また同時に、唯立っているだけでも否応無しに体力を奪い取っていく。
午前のラッシュが終わり、お昼を食べる頃には腹は不思議と減っておらず、けれど食わねば倒れるだろうとひたすらにパンを冷たいお茶で流し込む。


 午後の業務に戻り、少し経った頃。
相棒が頭痛を訴え始めた。幸い来客は居なかったので軽くツボを押してやった所、一時的に恢復はしたものの、暫く経つとまた同症状を訴え始めた。
その段になって漸く、熱中症の初期症状だと気が付いて、飯休憩に行ったばかりだけれど、少し休ませる事にする。
ところが、彼を休ませた途端に午後のラッシュに入る。営業の社員や女性のスタッフも出てきて、皆一様に洗車にかかる。
件の彼は10分程度休む、と言っていたけれど30分しても戻って来ず、些か症状が懸念されたが見に行く暇も俺にはなく、社員から行き先を問われ「熱中症なので少し休ませている」と答える事しか出来ない。まあ、涼しい所で足を上げて寝ころぶよう指示したので、先程よりは酷くなる事もないだろうとも思ってはいたが。


 俺自身も、頭痛などの症状は無いものの、自分自身でも思考回路が停滞しているのが分かった。
途切れる事のない洗車待ちの車を前にして、妙な憎悪すら抱き始めた程だ。
そう言えば、カミュは「異邦人」の中で殺人の理由として「太陽が眩しかったから*1」と書いたっけ。
流石に俺もやばいかも、と思ったので恥も外聞もかなぐり捨て、頭から水を被って水冷式にする。どうせ汗でずぶ濡れだったし、大して変わりはない。
その様子を見ていた女性社員が、「うわー、気持ちよさそう!」と妙にはしゃぐので、「やります?」と訊いたらやんわりと断られる。ちっ。
件の彼も休憩後小一時間程して戻って来、随分と血色が良くなったので安堵する。
「君も思い切って水冷式にすると良いよ」と言うと、当初は抵抗感を表していたものの、あまりに俺が気持ちよさそうに見えたのだろう、「俺もやってみます」と頭から水をかけ始めた。
実はそれが良い効果を齎したようで、加えて水分をこまめに取るようにした事もあり、その後は俺も彼も熱中症のような症状を見せる事は無くなった。


 定時になり、一生分を遙かに超えるだろう数の車を洗い終え、任務は終了。
相棒と別れ、下着の替えを持って行かなかったので汗まみれのシャツで少し懐かしさすら感じる関内を歩く。
風に吹かれシャツが乾くと、汗が塩となって白く残る。
その有様を見つめ、ふと「走狗」という言葉が思い浮かんだ。
今まで、幾つか仕事をしてきて、金輪際やりたくない仕事や、色々な事を学んだ仕事があった。
しかし、この仕事は何一つ得るものはなく、言わばただの走狗としての仕事でしか無かった。
いや、今までの仕事も殆どが走狗であり、また、世間一般で言う仕事の多くもまた走狗でしかないだろう。究極的に言えば、些か旧い考え方かも知れないが、遍く労働者は資本家の走狗にしか過ぎぬ。


 力仕事と言う事ではないし、なまじっかその会社の人達がいい人達ばかりだったし、当初の予想程では無いにしても、「美味しめの仕事」であった事は事実だろう。炎天下の中、熱中症になりかける事は十分に「きつい事」だとしてもだ。
だから余計にその仕事内容と俺が抱いている「走狗であった」と言う心情とのギャップが切なさを醸し出した。
これは単に、俺が贅沢を言っているからなのか、それともまた別の理由があるからなのか。
俺自身の思考でありながら、よく分からない。

*1:正確には「黄色かったから」